戻ってくるのに随分掛かった。
日本人最長身を誇るミドルブロッカーとして
第一期眞鍋ジャパンで脚光を浴びた彼女は
2年を経て全日本に帰って来た。
新たなる全日本の高い壁として
再び世界に挑むは
岩坂名奈選手。
いよいよ久々に
全日本のユニフォームに袖を通す。
おっとりとした彼女だが
うちに秘めた闘志は相当のもの。
今年揃って全日本に復帰した
リサナナの相棒
親友の新鍋理沙選手とどこか似ている。
二人は励まし合い、切磋琢磨しながら
今日まで歩んできた。
そんな岩坂選手は、名門・東九州龍谷高校出身。
同級生は現在、PFUブルーキャッツで活躍する大型セッター・松浦寛子選手。
彼女の在籍当時、東龍はまさに黄金時代。
春高、インターハイを制し、国体準優勝。
ユースやジュニアでも活躍し、アジアユース、世界ユース、そしてアジアジュニアでも優勝し、勇名を馳せる金の卵。
そんな彼女が選んだ進路は久光製薬スプリングス。2009年1月に内定選手として入団すると同年4月、早くも全日本シニアからお声が掛かる。
2010/11シーズン途中から久光でレギュラーを獲得すると、2011年、若手選手の登竜門、モントルー・バレーマスターズで日本の初優勝に大きく貢献し、ベストサーバー賞を受賞。
更に同年のワールドカップで同期のチームメイト、新鍋理沙選手とともにリサナナコンビで大ブレイク。ベストサーバー部門2位、ベストブロッカー部門5位と大活躍。
二人は苦楽を共にした親友。
当時、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
しかし、ライバルは多かった。
当時の全日本はキャプテン・荒木絵里香選手をはじめ、スピードと高い技量が売りの山本愛選手、ブロックとコンビに冴えを見せる井上香織選手と実力者揃い。
翌年のOQTではミドルの主力として奮闘し、ロンドンの切符を掴むも、残念ながら選考から漏れた。
それでも、日本屈指の高さを誇る岩坂選手には次世代ミドルの中心として期待が集まる。
ところが、第二期眞鍋ジャパンの方向転換は岩坂選手にとって、いやミドルブロッカーにとって逆風になった。
当時、ミドルで点が取れないことを懸念した眞鍋監督はミドルブロッカーを一人削り、オポジット二枚を同時にコートインタビューさせるMB1、更にセッター以外は全員アタッカーというハイブリッド6を投入。
ミドル選手にとっては狭き門となり、器用さが求められた。
この流れは岩坂選手に取っても無関係ではなく、彼女もまた2014シーズンを以て全日本を去ることとなる。
そんな岩坂選手にとって、やるべきことは多かった。
岩坂選手が久光製薬スプリングスでレギュラーを獲得した2010/11シーズン以降、チームは全盛期を迎えていた。
二連覇を挟む、優勝三回、準優勝三回、まさにVプレミアリーグの盟主たる王者として君臨。2015年世界クラブ選手権でのエジザージュバシュからの歴史的な大勝利も含め、まさに黄金期の中で不動のレギュラーとして活躍。2013/14シーズン、2015/16シーズンにはともに優勝に貢献し、ベスト6に輝いている。
そして迎えた2016/17シーズン。
岩坂選手にとっては、我慢の一年だった。
シーズン前半で故障し、2016年を棒に降る。年明けファイナル6には間に合ったものの、今度は母校の後輩である長岡選手が故障。
岩坂選手は奮戦し、日立リヴァーレとのファイナル3を制し、NECレッドロケッツとのファイナルに駒を進める。
ところが、その第一戦で肩を負傷。戦線離脱を余儀なくされ、優勝を逃してしまう。
しかし、転機は訪れる。
全日本女子バレーボールチームの新監督に恩師・中田久美さんが就任。
岩坂選手にかつて、「我が道を行け」と進言した中田監督は迷わず岩坂選手を指名。
2014年以来、2年の時を経て、ようやく全日本に帰って来た。
ファイナル以降、大事をとって試合出場はまだだが、目前にはチームの大目標である世界クラブ選手権を地元神戸で迎える。
相手は大敵揃いだが、金星を携えての全日本復帰を目論む。
そして、これから岩坂選手の全日本第二章が
始まろうとしている。
さあ行け、世界の舞台へ。
新しい時代をその手に掴むために。
日本人最長身を誇るミドルブロッカーとして
第一期眞鍋ジャパンで脚光を浴びた彼女は
2年を経て全日本に帰って来た。
新たなる全日本の高い壁として
再び世界に挑むは
岩坂名奈選手。
いよいよ久々に
全日本のユニフォームに袖を通す。
おっとりとした彼女だが
うちに秘めた闘志は相当のもの。
今年揃って全日本に復帰した
リサナナの相棒
親友の新鍋理沙選手とどこか似ている。
二人は励まし合い、切磋琢磨しながら
今日まで歩んできた。
そんな岩坂選手は、名門・東九州龍谷高校出身。
同級生は現在、PFUブルーキャッツで活躍する大型セッター・松浦寛子選手。
彼女の在籍当時、東龍はまさに黄金時代。
春高、インターハイを制し、国体準優勝。
ユースやジュニアでも活躍し、アジアユース、世界ユース、そしてアジアジュニアでも優勝し、勇名を馳せる金の卵。
そんな彼女が選んだ進路は久光製薬スプリングス。2009年1月に内定選手として入団すると同年4月、早くも全日本シニアからお声が掛かる。
2010/11シーズン途中から久光でレギュラーを獲得すると、2011年、若手選手の登竜門、モントルー・バレーマスターズで日本の初優勝に大きく貢献し、ベストサーバー賞を受賞。
更に同年のワールドカップで同期のチームメイト、新鍋理沙選手とともにリサナナコンビで大ブレイク。ベストサーバー部門2位、ベストブロッカー部門5位と大活躍。
二人は苦楽を共にした親友。
当時、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
しかし、ライバルは多かった。
当時の全日本はキャプテン・荒木絵里香選手をはじめ、スピードと高い技量が売りの山本愛選手、ブロックとコンビに冴えを見せる井上香織選手と実力者揃い。
翌年のOQTではミドルの主力として奮闘し、ロンドンの切符を掴むも、残念ながら選考から漏れた。
それでも、日本屈指の高さを誇る岩坂選手には次世代ミドルの中心として期待が集まる。
ところが、第二期眞鍋ジャパンの方向転換は岩坂選手にとって、いやミドルブロッカーにとって逆風になった。
当時、ミドルで点が取れないことを懸念した眞鍋監督はミドルブロッカーを一人削り、オポジット二枚を同時にコートインタビューさせるMB1、更にセッター以外は全員アタッカーというハイブリッド6を投入。
ミドル選手にとっては狭き門となり、器用さが求められた。
この流れは岩坂選手に取っても無関係ではなく、彼女もまた2014シーズンを以て全日本を去ることとなる。
そんな岩坂選手にとって、やるべきことは多かった。
岩坂選手が久光製薬スプリングスでレギュラーを獲得した2010/11シーズン以降、チームは全盛期を迎えていた。
二連覇を挟む、優勝三回、準優勝三回、まさにVプレミアリーグの盟主たる王者として君臨。2015年世界クラブ選手権でのエジザージュバシュからの歴史的な大勝利も含め、まさに黄金期の中で不動のレギュラーとして活躍。2013/14シーズン、2015/16シーズンにはともに優勝に貢献し、ベスト6に輝いている。
そして迎えた2016/17シーズン。
岩坂選手にとっては、我慢の一年だった。
シーズン前半で故障し、2016年を棒に降る。年明けファイナル6には間に合ったものの、今度は母校の後輩である長岡選手が故障。
岩坂選手は奮戦し、日立リヴァーレとのファイナル3を制し、NECレッドロケッツとのファイナルに駒を進める。
ところが、その第一戦で肩を負傷。戦線離脱を余儀なくされ、優勝を逃してしまう。
しかし、転機は訪れる。
全日本女子バレーボールチームの新監督に恩師・中田久美さんが就任。
岩坂選手にかつて、「我が道を行け」と進言した中田監督は迷わず岩坂選手を指名。
2014年以来、2年の時を経て、ようやく全日本に帰って来た。
ファイナル以降、大事をとって試合出場はまだだが、目前にはチームの大目標である世界クラブ選手権を地元神戸で迎える。
相手は大敵揃いだが、金星を携えての全日本復帰を目論む。
そして、これから岩坂選手の全日本第二章が
始まろうとしている。
さあ行け、世界の舞台へ。
新しい時代をその手に掴むために。
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