日本のリベロ第一号は津雲博子選手である。

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元々、リベロはどうして出来たかというと、守備の良い日本に対抗するために出来たポジションで、本来、日本にはあまり必要ではなかった。

しかし、世界のバレー界の動向を受け、日本でもリベロの必要性が検討された。

国内でリベロ制度が検討されたのは1997年のこと。今からおよそ21年前のこと。

当時は大林素子さんの時代から多治見麻子選手、熊前知加子選手、江藤直美選手の時代への転換期。竹下佳江さんが全日本に加わったのもこの頃。

仙台ベルフィーユでも監督を務められた葛輪伸元さんが全日本女子バレーポールチームを指揮している。

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こうした時代の転換期の中にあって、津雲さんはNECレッドロケッツで活躍、元々はライトやレフトプレイヤーでキャプテンとして活躍。1997年に全日本入りを果たすと、守備力の高さを買われ、同年のワールドグランドチャンピオンズカップより新設された全日本リベロの第一号となる。

1998世界選手権、1999年のワールドカップにも出演。ワールドカップではベストレシーバー、ベストリベロの二冠に輝き、世界一のリベロと謳われる。
しかしながら、シドニーオリンピックにはOQTで敗退の憂き目に遭い、念願のオリンピック出場は叶わなかった。

元々、高い守備力こそ日本のお家芸。
後に佐野優子選手へ連綿と伝わる世界一のリベロへの系譜は、津雲選手の活躍から始まった。現在でもバレーポール教室などでご活躍されている。

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現在、全日本のコートを死守するのは井上琴絵選手たち。世界一の系譜を継ぎ、歴史に名を刻めるか、その活躍を津雲さんも見守っている。